父は中央区新富町で税理士として会計事務所を営んでいました。そんな環境で育ったので、自然と税務や会計が身近な存在でした。
学生時代、ぼんやりと「海外と関わる仕事がしたい」と思っていました。立教大学を卒業してから、ミズノ株式会社に入社し、広報宣伝部に配属されました。入社3年目のソウルオリンピックの年には、初めての海外出張を経験しました。陸上100メートルで金メダルを獲得したカール・ルイスやフロレンス・ジョイナーを広報のキーにして、ランバードの優秀性をPRする仕事でした。彼らの成功が大きなPR効果を生む様子を間近で見ました。
29歳のときにはヘレンカーチスジャパン株式会社に転職して、マーケティング部で頭髪化粧品のブランドマネージャーとして働きました。初めてマーケティング全体の流れに触れ、製品の企画から販売促進までのプロセスに関与することの面白さを知りました。
その後、33歳で外資系広告代理店のマッキャンエリクソンに移り、営業本部のアカウントディレクターとしてクライアントのマーケティング活動全般に携わることになりました。担当したクライアントは、ヘルスケア、自動車、写真フィルム、クレジットカード、コンタクトレンズなど、多くの外資系企業マーケティング部の方と一緒に仕事をしました。消費者リサーチ、戦略企画、クリエイティブ、メディア、セールスプロモーションなど、総合的なコミュニケーション戦略を組み立てるプロセスは非常にエキサイティングでした。総合的なコミュニケーション戦略とは、消費者リサーチ、戦略企画、クリエイティブ、メディア、セールスプロモーションなど、消費者といつ(When)、どのタッチポイント(Where)で、何を(What)、どのように(How)、どれくらい(How much)を組み立てることです。
マッキャンエリクソンでの20年間、効果的なコミュニケーションが売上アップにどれだけ寄与するかを実感しました。他社と差別化できる要素が少ない時代において、コミュニケーションは確かな競争優位をもたらします。
52歳になったとき、父の職業である税理士になることを決意しました。生涯現役で、事業主として社会と関わり続けたいという思いがありました。退路を断ってマッキャンエリクソンを退社し、6年間税理士試験に挑戦しました。簿記論、財務諸表論、法人税法、消費税法、国税徴収法の5科目に合格し、令和3年3月に税理士資格を取得しました。
令和3年4月に税理士事務所を開業しました。私が自らをマーケティングするならば、他の事務所と差別化できることは、『税務会計サービスに加えて、広告戦略のノウハウを活かし、クライアントの売上アップを支援する稀有な事務所である』ことは、自信をもって言えるでしょう。外資系広告代理店の営業出身の税理士なんて聞いたことも出会ったこともないし、有名な広告キャンペーンを牽引した経験を持つのは、おそらく私だけでしょう。
大企業は広告代理店を使って、販売促進にさらに力を入れていますが、私の事務所のメイン顧客層は従業員10人以下の小規模企業です。概して、小規模企業では、社長自らがマーケティングや広告を担当することが多く、その企画内容は直感に頼ったものが主で、マーケティング戦略的なアプローチが不足していることが多いです。広告代理店は大企業を相手にしており、小規模企業では採算が合わないため、見向きもしません。広告を行うための予算が限られている小規模企業にとって、広告代理店のサービスは手が届かないものです。
しかし、私は違います。私のマーケティング経験と広告代理店での知識を活かし、小規模企業の売上アップを支援したいと思っています。外資系の大企業で実証された広告戦略を、小規模企業でも展開できる場合があると信じています。
先日、ある新聞社からある企画の売込みを受けました。担当者は私のホームページを見て、有望だと言ってくれました。「小規模企業の社長は、広告したいと税理士へ相談すると、やめておきなさいと、断られることを多く聞きます。中島先生なら、クライアントのこうしたニーズを満たすことができる税理士だと思います」とのことでした。
私の事務所は税務会計サービスに加えて、こうした広告戦略のノウハウを駆使し、クライアントの売上アップを支援する稀有な事務所です。小規模企業でも、大企業と同じようにマーケティング力を持つことができるはずです。
(税理士 中島眞司)
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